地球へ…原作辛口考察 その4

こんばんは、マダムやん♪です。


こちらでは「地球へ…」原作について語ってまいります。 ネタバレ注意!

なお、辛口と銘打ってある以上、かなり辛口、というか濃い目ですので、最下部に記した魔法の呪文を唱えてからご閲覧くださりませ。

それではいきます!


解釈は、人それぞれ、人それぞれ〜〜〜〜〜 

お久しぶりの原作語りです! 

今回は、キース登場からシロエとの決闘までです。


ジョミーと同一人物であるかもしれない、そうでないかもしれない、ブルーと同一人物であるかもしれない、そうでないかもしれない、主人公その2、キース=アニアンの登場です。

またマダムやん♪が意味不明なこと言ってますね。 このマダムやん♪の仮説によれば、原作限定ですけど、ブルーとキースが同じ時間軸内で出会う事は、タイムパラドックスでも起こらない限りありえないことになるのです。

アニテラ語りでも書きましたが、水槽の中での14年間について。
胎児でなくなった状態になっても14年間水の中に浸かっていなければならない理由って何ですか? 「無垢なるもの」ならば、育てるのに無駄に時間かければ余計な知識を潜在的に植えつける事になるのに。 というか、本当は失敗作となっていたはずなのが、急に起動したのかも。
それはつまり、本来は他の子同様起動してなくてまた失敗作かと思われていたのが初めて起動したので、おお、これは成功作だー!と、早速外に出した、という事です。

それと、天下のブルー様(笑)が、何で300年間何もしなかったのか。 やる気がなかったから、という理由が第一でしょうが、そのやる気のなさはどこから来たのか、と思いまして。
それは、キースの国家元首時代に人類に見切りをつけた記憶が元になっているから、という推測です。

竹宮先生渾身の理想を込めたキャラであるブルー。 そして竹宮先生が自身を投影しているとされるキース。  
ブルーの死と入れ替わるように登場したキース。
300年間ミュウの同胞に対して特別な政策を施さず、画一的な支配を続けてきた(であろう)ブルー。 そして国家元首となっても特に人民に対して特別な政策を施さず、画一的な支配を続けてきたキース。
なぜかジョミーを前から知っているかのように後継者と認定し、彼に対してまるで告知(ノーティス)をばらまいたようにねちねちといたぶるように指導し、能力を開花させたブルー。 自分の全てを継承させるかのように、普段の会話やフロア001にてねちねちとマツカを指導?し続けたキース。 テレパシーガードを本物のミュウより巧みに使いこなせたり、人間であるキースがミュウであるマツカを特訓なんておかしいとは思ってました。


これはただの偶然でしょうか? 無論、マダムやん♪は必然だと思います。 とある仮説を構築したのですが、その…最終回までお待ちを…。




ミュウたちがどうやってアタラクシアからモグラ宇宙船で脱出したのかは、劇場版のワープを参考にするしかないという事にしておいて。
新米ソルジャーのジョミーがナスカまでの間にどのような成長振りをしていたのかが原作では全く描かれていなかったのですが、ジョミーとキースは対の存在、ということなので、実はこのステーション編でのキースの行動とシンクロしていたのだと気づくのにずいぶんかかりました。 とはいえ、教育ステーションでの人類と、宇宙船で逃避行中のミュウとでは環境や人間関係など細かな差異があるので、必ずしもステーション編での出来事がジョミーたちの逃避行とシンクロしないのも事実。

結局は脳内補完するしかないという事ですか…。

それはともかく、最近なぜかぎすぎすしているキース。 シロエに会う前なのに、何を悩んでいるのでしょうか。 後のイライザのカウンセリングに寄れば「システムへの疑問、人の生きることの意味、生への不条理」ということです。 それについてはまた後ほど。

シロエ登場。 アニテラではカットされていた「成長とは過去を捨て去る事、そう思いますか?」とか「マザー牧場の羊」発言は初めて読んだ当時小学生だったのマダムやん♪の心にずっしり突き刺さりました。 今から思うと廚二病の典型的な症状なのですが、本来なら子供が大人社会に反発するのは、自我を確立するための通過儀礼なのです。 原作シロエなら、本来の成長とは過去を踏まえて経験を含蓄していくものだ、と思っているでしょう。 成長する自体が嫌なのではなく、過去を消されるのが嫌なのだと。
そこんところ、アニテラではねー。 ピーター=パンを持ってくるのはいいけど、あの使い方はねー。 

自我の確立した大人ならば、不特定多数の中に埋没しても何とか自己を保持できるのですが、精神的に未熟な子供は、多数の中に放り込まれても自我を保持する事ができず、消滅してしまったり、他者に染まったりしてしまいます。 他者を拒否し、耐久力をつけ、その上で他者を理解、受諾してなお「自分自身」を見失わないようになっていくための苦しみ、悩み。 その辛さを克服できた者に、「自我」が芽生えるのです。
で、その辛さから逃げたもの、SD体制時ではシステムにより辛さを排除してもらったものに「自我」が備わってないのは当然です。

ご承知のとおりシロエは、奪われた過去=自我に固執し、ほんのわずかに残された大切な記憶すら更に奪おうとしてくる力に対抗し、奪われまいともがき、苦しみ、叫び続けて散っていきます。 正直うるさすぎるとは思いますが、強烈な自我は排除させられるSD体制時において、この強い自我を守るためにはなりふり構わずもがき苦しむしかできないのでしょう。
あるいは、システムの隙間を巧くかいくぐって強かに逞しく生き抜くか。

うるさくて痛いジコチューなクソガキではありますが、マダムやん♪は今でもこの原作シロエの行動理念には賛同いたします。 劇場版シロエはもっといい男ですけど♪

そしてガイダンス。 この時の映像になぜかジョミーの成人検査時の映像が使われていて、キースはその場面だけは直視する事ができない。 何でだろう、何でだろうとずっと疑問でしたが、これって単に、キースは成人検査を受けていないから、というだけではないような気がしております。 寧ろ、

成人検査を受けた記憶が奥底に眠っているから、あの時の苦しみを忘れていないから直視できない。

のだと推測します。 その理屈で考えると、ソルジャー・ブルーが死んだ後にまるで別人のように普通にソルジャーとして威風堂々としているジョミーと、そのジョミーに対して何の衒いもなくソルジャーマンセーし始めるミュウたちの態度についての考察を改めねばなりません。 これって、ジョミーはブルーの死と共に「覚醒」し、ミュウたちはその「覚醒した」ジョミーの中に「ソルジャー」が見えたから普通にマンセー出来たのだろうと。

詳細については…はい、最終回にて。

それと、子供の作り方に関して。 ガイダンスを見た子達はコンピュータ管理による人工授精で子供ができると知り、「わたしたち、ああやって生まれたの?」「パパもママもなしに?」とショックだったようですけど、じゃあ、あんたたちは今まで子供はどうやって生まれたと思ってたんですか?
夫婦が子供の成る樹にお祈りすれば、10ヵ月後に子供の実が成るとか、キャベツ畑にコウノトリが運んでくるとか、スーパーで選んで買ってくるとか?
現実的なところを考えれば、「最初からパパとママの子なんだよ」と刷り込みされてるくらいかな。

ガイダンスをエスケープし、堂々とシステム批判をするキースを真正直に心配し、ジョークだ、と返されて怒るサム。
ジョミーとサムがじゃれてるようにしか見えません。 本来のキースはこういうキャラ=普通のやんちゃな男の子、なのかと感じられます。
でもって、再びシロエが「テラと人間の関係はいうなれば、利口なヤドリギが、寄生主を守るという大義名分を考え付いた」と問題発言。 ジョークだ、と逃げたキースへの対抗心満々です。

ここだけ聞いてるとやはり廚二病の反抗期真っ盛り発言に聞こえますね。 本来なら、システムはシステムなりにテラの復興や人類の未来の行く末を考えて「同じ過ちを繰り返さないよう」努力しているのに、管理されてる側はその涙ぐましい努力を知らないし、ミュウや反逆者からはただのお仕着せの管理だとしか思ってもらえない。 シロエたち自我の強いジコチュー存在からすれば「余計なお世話」だと。
ガイダンスのくっさい説明も強ち誇張ではないのです。 いわば、戦後世代が「わしらは懸命に復興に向けて努力した。 だからわかってくれ」と昔話に悦に入るのを、若い世代は「ふーん、で? べっつにキョーミないしー」としらけて無視するようなもの。 
はい、それがいわゆるジェネレーション・ギャップ! 
竹宮先生が巧く描ききれなくてアニテラスタッフに「アニメではきちんと描いてね」とお願いした部分です。 
アニテラのガイダンスも一応ほぼ同じ展開なのですが、テレビアニメという媒体である以上、マンガのように丁寧に複雑に描く事はできないので、アニテラのようなあっさりした展開にせざるをえないです。 とはいえ、アニテラグラン・マは原作や劇場版とは違い、まじめに仕事してないポンコツだから、若者に無視されても同情できないのですよね。
だから、原作と照らし合わせ「この場面はこういう意味だったか」と比較するのがより正確な読み解き方です。 疲れるけど。
アニテラにもいいところが(略)

ここでも「相互理解の欠如による確執」が顕著ですね。 行き過ぎたシビリアン・コントロールに対し、自我と先行きが見えなくて迷走する市民。
ここで相互理解してニンゲンと機械が仲良くなったら物語が破綻しますのでね、残念ながらシロエには逝ってもらうしかないでしょう。

それよりも、キースやシロエのシステム批判発言を、サム以外の生徒は知らん顔してるほうが気になっております。 どうせなんかあってもコールがあるからマザーにお任せよ、という事でしょうか。
アニテラ語りで書いたように、他人の行動に無関心な羊ちゃんの顕著な反応かも。

シロエがここまでキースに執着するのは、イライザの申し子である事であるほかにも何かあるんじゃないかと考えていたのですが、いろんな考察を読んでいく内に思いついた仮説ができました。 それはステーション編のラストにて。

レポート制作に励むキースをサムはゲームに誘うも断られます。 他の仲間たちはキースを、「人間的な感情なんてどっかへ置き忘れてきたみたい」とけなしてます。 
ここにシロエがいたら、「彼がイライザの申し子だとしたら、君たちは人間としての自我をどっかへ置き忘れてきたマザー牧場の羊だね」とでも言いそうですね。 読者にもそう突っ込んでほしいのでしょうか。

キースは次の場面では、キャッキャウフフして戯れてるバカップルを諌めます。 
しかも、その仲間たちの中傷を否定するかのようにその隣にマダムやん♪のごひいきキャラ、原作スウェナちゃんを伴って。 

当時は、あのキースに女の知り合いがいたのか、とびっくりしたのが先でした。 が、彼女は、その後のキースの告白「スウェナ、きみならわかるはずだ。 ぼく達はエリート云々」に作り笑いで応え、内面では「そう…」と寂しそうな顔をしました。 どういうことかと思っていたら、次の場面では、「どこの馬の骨かわからない宇宙技師」とデートをしていて、しかも結婚する事になり、ステーションを去っていってしまった!

マダムやん♪は、当時から今でもこれは「イライザの手練手管から巧く抜け出した成功例」とみなしております。 
歴史に「もし」はありませんが、もしあのまま彼女がキースと共にエリートコースを歩んでいたら、結婚という形を取らないにしろ、キースにも「生涯の伴侶」の大切さが多少は身に染み、国家元首になるとしてもあのようなマザコンのアダルトチルドレンになることはなかったかもしれません。

マダムやん♪が、原作スウェナちゃんを好きな理由は、

はかなげで清楚な外見でイライザの申し子、キースとも対等に付き合える優秀な成績で、いかにもマザー牧場の羊に見えるのに、結果は自我を貫き、究極の相互理解である「恋愛」を成就させ、いい意味で男を利用してシステムをうまく騙し、システムの中枢から逃亡できた、つまりシロエのなしえなかったシステムへの反逆に、清楚な振りして「女の武器」を利用して成功した所です。

既存のキャラにたとえれば、超マイナーキャラならば「RD潜脳調査室」のエイミーちゃん。
メジャーキャラだと某ギアスのユフィちゃん。
ファーストガンダムではマチルダさん、イデオンではキッチンで…。
…いいんです、わかる人にだけわかってもらえれば。 これが、超マイナーキャラ好きの醍醐味です。

彼女の事を評価する人はネット上では一人か二人はお見かけしました。 
イライザにとって彼女は「キースについた悪い虫」であり、「キースが人間の生きる意味、生の不条理を学ぶための告知(ノーティス)」、ついでにキース信者ナンバー1(と言うか他にいないけど)のマツカ登場の前ふりでしかなく、用済みになったのでさっさと追い出しただけに過ぎないようでした。 が、実際彼女がどこかの田舎へ行き、テラのカタストロフに巻き込まれずにすんだのは、重要な意味があると思ってます。 
それは最終回にて…。

あー、やっと自分の萌えキャラ語りができます。
原作スウェナちゃんが好きな人って…世界中に何人いるのでしょうね。
何度も言いますが、アニテラズウェナ様と原作の彼女は全くの別人です。 
巷では同じ扱いを受けているのでとても困惑しておりますが、しかたないのでスルーするしかないのです…。

シロエと出会う前、キースが「最近つっかかる」ようになったのは、彼女が原因ではないかと。
キースと対等に付き合えて、どこか芯の通っている彼女に興味がわいていたのだけど、なぜか彼女は、リオ君にそっくりな、しがない宇宙技師と付き合ってたのが「不条理」だったと。 何故彼女のような優秀な人材が「恋愛」などという妄想めいたものに現を抜かすのか、理解できなかったのでしょう。 
「ぼく達はエリート」発言は、恋愛などというものなどよりも、同じ野心をを共に果たす方が生産的だよ、という要はキースの告白だと思いました。 アニテラと全く意味が違いますね。
でも彼女のそのキースの告白を振って、自分が選んだわけじゃないエリートコースを捨て、自分の選んだ人と結婚したのでした。 彼女の「そう…」は、キースならエリートの恋愛や結婚を理解してくれると思ったのに残念だ、という意味だと受け取りました。 お互いの事をよく知らなかったってことは、スウェナちゃんとキースって、「最近」知り合ったばかりってことかな。
もののついでだから書いちゃうけど、スウェナちゃんと原作イライザ、そっくりです。 

一時期は、イライザの意識操作で適当な男あてがわれたんじゃないかって思ったこともありましたが、原作でもアニメでも、いくらイライザが優秀でもそんな見合いババァのような芸当は無理だと判断しました。
原作での仲間の台詞に「よくマザーが許したなあ! ひとたび恋のとりこになったら機械の力でも修正は不可能だというぜ」があります。 つまり、これまでにも何度か渋々マザーが結婚を承諾した例があるということでしょう。 
なんと言っても原作テラのメインテーマは「相互理解の欠如による確執」でありますから、現行システムでは相互理解、という項目は処理してはいけないのです。 スウェナちゃんのデート場面にいたマザー端末の画面が白黒混在で曖昧な模様なのは、「恋愛=不条理=解析不能」という意味なのかな? 他の端末画面はスクリーントーンのベタ=単一の色なので。 日数が経過しているのを表現しているのに日めくりカレンダーを使ってますが、SD時代に日めくりカレンダーってあるのかい、と突っ込んでいいですか?

シロエのようにギャンギャンがなってるだけが反逆ではない、ということを知らしめてくれた優れた例だと思っております。

なので、アニテラで彼女が登場すると聞いた時はお奉行様にメール送ったくらい喜んだのですが、その結果がKYシャネラーストーカーですかそうですか。  まあ、別人だからいいや(投げやり)。

竹宮先生は当時、「清楚な女の子を描くのが苦手」と仰ってたので彼女の出番が2pだけだったかもしれませんが、ぶっちゃけ余計な出番がないおかげで、自分の妄想イメージを膨らませる事ができるのでありがたいです。


萌えキャラ語り、おしまい! またストイックプレイに戻ります…。

スウェナちゃんが去っていき、空しさと共に見送るキース。 クラスメートのやっかみはあったけど、それはキースの実力を認めたゆえのこと。 自分の全てを肯定されつつ過ごしてきたキースの人生において、初めて自分の存在を否定されたこと、スウェナならこれからも一緒に行動できる、という自分の理想を本人により否定されたこと、「相互理解の欠如による確執」がもたらした空虚な気持ちでしょう。初めて知った失恋という名の「挫折」。
 
アニテラ同様、誰もスウェナちゃんの結婚を祝福してないように見えますが、サムが声援してましたね。 いいやつですね。 キースに対しても彼は否定的な態度をとりませんでした。 「お前に期待している」「折角の成績に傷がつく」などと癒し系の発言しかしていません。 
昔はサムの事をキースの親友だなんて思っていましたが、今は違います。
サムはアニテラ同様、キースのためにあてがわれたいやし系のペットに過ぎなかったのです。 それは後のサムへのキースの評価「彼はペットのようになついた」でも明らかです。 原作では最後までサムはキースのペットでしかなかったです。 それについてはまた後日に。

スウェナちゃんに対するクラスメートの評価は冷たいです。 やはり、定められた道を自ら捨てた反逆者に対する世間の目は厳しい、といったところでしょう。 そのリスクを背負ってもなお、か弱い少女の身で自分の道を進んでいった潔さに、マダムやん♪は惚れてるのです。 少女のいいところを見つけられない、なんて当時のインタビューで竹宮先生は仰ってましたが、何を仰るのやら。 まあね、システムへの反逆なんて少女らしくないといえばそうなんですけど、一見ばれないようにやってるところ。しかも無自覚な、一種の天然なところが、イイ!
某クラスメートの女子も結婚を羨んでました。 その女子生徒に冷たく切り返したボブカットの女子生徒って…アニテラのミシェルですか? で、その女子生徒には彼氏がいるそうなのですが、まさかその彼氏が「あの人」だったとはね。 それはアニテラだけの設定ですよね?

そんなキースにちょっかいかけるシロエ。 よく考えてみれば、キースをいじめたいのなら「そんな事で空しくなるなんてあなたも甘いですね」とぶった切れば済むことなのに、なぜかシロエはわざわざその場にいないスウェナちゃんを取り上げて侮辱しましたね。 結婚話なんて興味なさそうなのに。

それってつまり、アニテラ同様原作シロエもスウェナちゃんが好きだった、という事かも。
イライザの手練手管から逃れる事のできたスウェナちゃんを本来なら祝福してもよさそうなのに、自分のようにシステムに真っ向から対抗する、という手段をとらずにシロエから見れば「逃げ」という手を使って、しかも男(自分と同じ技術肌)を利用したのが気に入らなかったのかもね。 野心をもって一緒にシステムに立ち向かってほしかった、とか、あんな使えないやつなんか選ぶなんてバカだ、とか。 

真っ向からシステムに対抗するなんてアホのすることですよ。 それはシロエにもわかってる事でしょうけど、かといって男を使うなんて汚い、と思ったのかもね。 清楚な年上の女性に対する憧れが打ち砕かれ、「挫折」したのはシロエ自身でしょうね、本当は。 可愛さあまって憎さ百倍というわけではないですが、それが「結婚なんて結局は挫折でしょう?」発言や後の「バカと女は嫌いだよ」発言になるのでしょうか。 「夏への扉」のマリオンも、女性に興味はあってもその反面、実際恋愛感情を見せられると否定してしまうところがありましたよね?

でもって、スウェナちゃんを侮辱したシロエを睨みつけるキースの冷たいまなざしといったら♪
その目つきの悪さに流石のシロエもびびったのか、自分でもちょっと言いすぎたと反省したのか「あ。 そういって悪ければ心の平穏(アタラクシア)ね」とフォローしたのですが、ここで「アタラクシア」が出てきたのが今も気になっております。 この発言から、昔はシロエとジョミーが似ているのはわけがあるのだろうか、と考えていたのですが、確たる証拠がないので保留しておりました。 でも、最近になって立てた仮説によれば、この発言も不自然ではないのだと思われます。

そのシロエの挑戦を受けるキース。 

あのー、これって普通にスウェナちゃんをめぐるキースとシロエの決闘なんですけど。
これが青春だー! 学園ものだー!

そして噂の?電子弓ゲーム。 うーーーーーーん。 アニテラ語りのコメントでは、反射神経などを養うためかも、なんてありましたが、よくよく見れば、弓を扱ったのはマンガとして絵になるから、でしょう。 弓って一般的なスポーツじゃないし、現実的にも弓を引く動作ってあまり役に立たないから、シューティングゲームなら、ガン辺りが正統派だと思いました。
すみません、どうでもいい発言でした。

そしてシロエのとどめの発言が、キースの手を上げさせたのでした。

「そうさ…エリートってやつは腰抜けだ。 いつだって燃え上がるのを押さえつけて騒ぎをよけてとおる! どこまでも冷静客観的に…マザー機械の申し子だってのは本当だよ。 その皮膚も冷たいんだろうさ、機械みたいに!」

うーん、でも。 この台詞だけでキースがキレる、なんて事はよく考えてみてもおかしいなぁと思います。 もううんざりだ、といらついてるのはわかるけど「機械の申し子」「機械みたいに冷たい」なんて今まで散々言われるし、逃げてるのは一応図星だけど、自分の悪口を言われたくらいでキレるキースじゃないでしょう? それこそ廚二病のお子ちゃまの反応です。
「お前は腰抜けだ」じゃなくて「エリートは腰抜けだ」と発言したことが、スウェナちゃんのことも含まれている、いつまでこだわってるんだ、とキースが察したからだ、と思うくらいしかできないです。 後の新年パーティの際にもこだわっていると思われる発言がありますので。

そして、「ナイフのような切れ味」の鉄拳をシロエに浴びせるのでした。 この表現もひっかかりますね。 そういえばナスカでのジョミーって、キースとの対決の後に「岩なら裂くこともできる…これは人間だ」と言ってましたね。 何気に対になってたりして。




改めて原作を何度も読み返すたびに、念入りに練られた構成と世界観、キャラ設定には敬服いたします。 正直言ってエゴの塊で、自分の主張を押し付けるばかりのテラキャラには萌えは全くしないのですけど、(唯一の例外が原作スウェナちゃん)そのエゴのぶつけ合いによって種の滅亡を呼び、そしてダ・カーポ…初めに戻る、という展開は今でも斬新で壮大ですし、後の作品にも影響を与えるに値する作品であると感じ入っております。

でもね、原作を読めば読むほどにキャラへの感情移入が急速に冷めていく作品ってめったにないかもしれません。 子供の頃は確かにブルーを王子様認定はしてはいましたけど、長としてこの人何をしたんだろうか、と引っかかる部分はありましたし、ジョミーもキースも、種族の長という立場のくせして仲間を当てにしてなさそうで感じ悪かったし、本来ならお姫様扱いのフィシスはアニテラズウェナ様をはるかに凌駕するKYで脳味噌空っぽだったし、リオ君は親友でも側近でもなく、ジョミー教信者ナンバー2だし、テラキャラで最も重症の廚二病患者シロエは、反抗したい気持ちはわかるけど必要以上にうるさすぎるし、躾のなってないジョミー教信者ナンバー1、狂犬トォニィはこいつ本当に人間か?と思えるキ○ガイぶりで、他のナスカっ子はここまでキ○ガイじゃないからあいつの気持ち悪さが余計目立つのです。 各キャラについてはまた後日に…。

なので30年後になってアニメ化してくれた事は、この作品に改めて向かい合うきっかけを与えてくれたことになるので、本来なら感謝しなければならないのですけど、結果あの二次アニメができたわけなので、諸手を上げてマンセーはできかねます、残念ながら…。
だからこそキャラへの愛にほだされることなく、ストーリー展開やキャラクターの作りこみの解読に集中できるのですから、こういう読み方もよいのではないでしょうか。 ギアスの楽しみ方と同じです、ハイ。 竹宮先生がかつて、「ちゃんとストーリーを読んでほしい」とおっしゃっておられましたっけ。
ぶっちゃけマダムやん♪は少女漫画は苦手なのですが、テラは「SFを少女漫画でやってた」から新鮮に感じ、読むことができたのです。 

それはともかく。
これでダブル主人公が揃ったことになります。

それではまた来週!


テーマ : 地球へ… - ジャンル : アニメ・コミック

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