地球へ…原作辛口考察 その5
こちらでは「地球へ…」原作について語ってまいります。 ネタバレ注意!
なお、辛口と銘打ってある以上、かなり辛口、というか濃い目ですので、最下部に記した魔法の呪文を唱えてからご閲覧くださりませ。
それではいきます!
解釈は、人それぞれ、人それぞれ〜〜〜〜〜
今回はキースのカウンセリングからシロエを匿うまでです。
そういえば前回の記事で「究極の相互理解は恋愛であり、それを成就させたスウェナちゃんはすごいのだ」と書きましたが、その理由を書き忘れておりました。 蛇足でありますがこちらにて追記します。
ちなみにマダムやん♪は現実の恋愛には興味がない生き物です。(乙女ゲーだけで十分です)
コンピュータが精子、卵子を管理し、受精させるシステムであるため、人間の生殖行為は恐らく存在しないであろうSD時代。 あったら寧ろ不都合でしょうに。
遺伝学上につながった人間の親子関係が存在しない以上、SD以前では最大級の愛情とされてきた「母と子供の関係」は、成立しなくなっている事実。
その代わり、本来生殖行為の発端である「恋愛」という感情が存在しうる事実。
母と子供の関係は対等ではありません。 産んだ存在である母が圧倒的優位であります。 母にとって子供は100才の老人となっても子供ですので、つまりは母親の片思いになりがち。 下手をすれば共依存となってしまいます。
「親の心、子知らず」とはよく言ったもの。
恋愛は、肉体年齢はともかく、精神的に対等であり、相手の長所、短所、取り巻く環境、歴史など全てを把握し、理解し、受け止め、互いに労わりあい、支えあい、高めあうものです。
そのためにはこれら全ての情報を包括でき、処理でき、行動に直結できる「精神的な大人」にならないと、恋愛を成就させる事はできません。 精神的に子供な状態では無理だ、と。
恋愛って、簡単なようで難しいのです。 なのでマダムやん♪には一生かかってもできません!
SD体制時では、女性が子供を産む行為はなくなったので女性≠母となってしまい、SD発足から500年以上経過した物語の舞台上では、先天的な女性優位=母系崇拝の情報が薄れてはいないでしょうか。 その代わりに本当の意味でのジェンダーフリーが成立し、男女がそれぞれの性差、特色を活かして対等な立場に並ぶ事ができるようになったともいえます。
生殖行為をしなくなったことで、純粋に互いを求め、高めあうためだけに愛を育みあうことができる。 SD時代にもいいところはあるのです。 というか、管理社会、出産禁止というアンラッキーを、純粋な恋愛のできる環境というハッピーに変える強かさ。 これだってじゅうぶん「人間らしい」生命力ではないでしょうか。
コンピュータに去勢された種であるのに、 竹宮作品の根底にあるLOVE=MC2 愛は全ての力の源、の精神は受け継がれていたのです。
あくまでも精神面での理屈であるので、子孫繁栄の問題とは切り離して考えてください。
以上は、一般市民レベルでの理屈です。
無論、そのようなたくましさを前面に出すのはストーリー内ではご法度なわけで。 テーマが崩壊するのでね。
この隠された逞しい感情こそが、「相互理解の欠如」がメインテーマである「地球へ…」での最大の反逆行為であり、名前のあるキャラで唯一この感情を成就させたスウェナちゃんに対してマダムやん♪は、最大級の敬意を払う理由なのであります。
一応ナスカっ子=新人類も、旧人類とは違い恋愛ごっこまではたどり着けたのですけど、いかんせん、まだ子供なので「ごっこ」止まりで終わってしまいましたね。
で、上には上がいるということで。
この物語の主役であり、一族の長でもあるジョミーとキースにおいては、マダムやん♪の仮説によれば「恋愛」以上の相互理解をしようとしているようです。 もうこの状態は、相互理解などという範疇で語れないかもしれません。
詳細は最終回レビューまでは伏せておきますが、この関係を無理やり単語に置き換えるならば、「共生」あるいは「共依存」という語句しか思いつきません。
なぜここまで ステーション編にこだわるのか? ミュウ側の人間関係が終始、「ソルジャー教の教祖とその信者」のみで構成されているのに対して、ステーション編では社会の縮図である「学校生活」を描いてあり、逃亡中のミュウ側の替りに「青春時代」を描いてあるからです。 人生において最も影響を受ける時期であり、様々な人間関係を学ぶ事のできる大切な時期。 友情、恋愛、親子関係、社会への期待と不安、自我の確立などなど。
そういえばマンガ少年連載バージョンではステーション編とエピローグはかなり改訂されているようですね。
一部ではありますが、ざっと表にして見ました。 ちなみにマダムやん♪は実際に連載版を読んではおりません。
マンガ少年連載時 | 単行本掲載時 |
スウェナはキースと無関係 | スウェナはキースと知り合い |
キースがシロエの夢を見る場面は、場面はマザーのコール前 | マザーのコール後に見る |
マザーのコール直後にキースは意識を失う(劇場版、アニテラのように) | イライザとの会話場面は全面改訂、イライザの顔も連載版とは変わってる? |
ゲーセンにてシロエがキースにちょっかいを出しに行こうとしたら、サムがキースを引っ張っていった | ゲーセンでの決闘後、シロエはキースを腰抜け呼ばわりし、キースはシロエを殴る |
シロエが成人検査時の悪夢を見るのは、キースの | キースがイライザのコールを受けた日の夜に見る(キースの見た夢とシンクロ) |
以下キースの個室での会話 シロエ「地球に反抗するつもりはない」 | キースがシロエをかくまった際の会話場面は全て改訂 シロエ「ぼくはESPなんかじゃないね」 |
シロエ「あの成人検査のシステムだけは納得できない!」 | シロエ「たとえどうだろうと あの成人検査だけは 絶対にゆるさない!」 |
シロエは、エリートになって内部からシステム反対を叫ぶつもりだ、と言う | 自分の運命は自分で決める、と言う |
上の台詞に対してキースは、「二つ(エリートになることとシステム反対)は相反している」と言う | 「とり残されるだけなのに」のキースの台詞ににやりと笑うシロエ |
シロエ捕縛時のキースのモノローグ「疑うことなくイライザに同調できるぼくを、シロエは憎悪した」 | 「当然のことだ――イライザはシステムを守らねばならない――彼が自分の意志を固く守ったように――」 |
物語の上で最も重要なこのステーション編とエピローグをかなり直してありますね。 ステーション編は半分以上直してあるようです。 ここまで改訂するのはステーション編はテラの中でも重要なエピであり、かなり竹宮先生の思い入れがおありなのでしょう。 解釈のしがいがあります。
冒頭のキースとシロエの出会いからシロエがキースに友達になりたい、と言ってくるまでが完全改訂されてます。 つまり、ガイダンスの時にジョミーの成人検査の映像が出て、キースが目をそむける場面は連載時にはなかったということですね。
スウェナちゃんにいたっては、最初はキースとは無関係だったのをキースの知り合いに昇格?させたのには重要な理由があるでしょう。
個人的には、キースと知り合う前から彼氏と付き合っていて、キースから遠まわしな告白をしてもらったけどもう遅かった、という展開がよかったのですけど、
アニテラ同様、キースとスウェナちゃんは実は両思いだったけど、キースのあの遠まわしな告白を「恋愛に現を抜かすな」という意味に取って「振られた」と思い込んでしまい、挫折していたところへ次の彼氏がやってきた、という展開が正解かな?
ララァをめぐるシャアとアムロ…すみません、なんでもないです。
さてと。 マダムやん♪の萌えキャラスウェナちゃんは去っていきました。 後は思う存分ストーリー考察に専念します。
シロエをぶん殴り、イライザに呼び出されるキース。 イライザにより正確にキースの心のうちが分析されていきます。 思春期の少年らしい悩みや苦悩の感情です。
キースが悩んでいるのはシロエとの諍いが原因ではない、とはっきりイライザは言ってますね。
これが国家元首になってまでそのまんまひよこ状態だとアダルトチルドレンとなるのですよ、キース殿。
「…ぼくは呼出されたのですか? …いつ…」ということは、あうう、キースでさえもカウンセリングの後は「コールを受けた事を覚えていない」のですね…。
うそつきで腹黒なアニテライライザとは違い、原作と劇場版のグラン・マやイライザは、「情報隠蔽はするけど、与えた情報は事実」「情報隠蔽や記憶操作は全て人の子の未来のため」なのです。 マダムやん♪はその辺りが健気で可愛いな、と思うのですが。
だって、グラン・マもイライザも某トランスフォーマーじゃあるまいに、勝手におぎゃー、と産まれたわけでも自分でSD体制作ったわけでもなくて、SD以前の政治家や科学者が監修して作られた「人の子」ですからね、創造主の言うこと(プログラム)を忠実に守ってるだけですもん。
「相手の本質を見抜く」という点では、イライザのカウンセリングとフィシスのシンクロ能力って同じようですね。 ターフルの占いはただのポージングで、実際はフィシスもクルーの深層心理に入り込んで「適度な理解、適度な戒め、適度な励ましetc…」を施していたのでしょう。
問題は、フィシスのシンクロ能力は「誰から」受け継いだのかなんですが、それもまた最終回にて。
そういや某ギアスのナナリーも、相手の手を握ると本心が読めたんだっけねー。 その能力が役に立ったのはラストシーンだけだったのがお笑いですけど。 その点でも本当に原作フィシスと同じですね。
カウンセリングの結果、いつものように「優等生キース」「あなたはいつも正しい」と過保護な褒め殺しを継続させるイライザでした。
そうですね、原作イライザは過保護なバカ母、原作グラン・マは過干渉なバカ婆です。 子供や部下を育てるには飴と鞭、厳しい父性と優しい母性の両方が必要なのいつの時代でも同じでしょう。 山本五十六提督も仰っておられます。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
…折角の名言なのに、「相互理解の欠如」がメインテーマで、「信頼」と「過保護」の区別がつかず、「感謝」という意味を知らないコンピュータが管理する社会である原作テラで通用したら意味がないんでしたね。 とりあえずは現代社会でくらいは実践いたしませう。
彼の主張を真っ向から否定できたのはスウェナちゃんとシロエだけなので、その二人がいなくなった時点でキースの人生からは「ムチ」が喪失してしまったのです。 ジョミーとは意見を押し付けあってただけですから、否定までいってないです。 マツカもキースの行動を制止はしたけど(酒を飲むな、辺りがそうです)意見や存在を否定はしてないです。
そして、シロエの苦しみを夢の中で見ることのできたキース。 後の精神汚染のときもキースだけは影響を受けなかった事と関係があるかもしれません。
で、キースとシロエの悪夢は上記の表にもあるように別冊で改訂された部分です。
改訂した理由を推測すると、連載時には別のものだった二人の見た悪夢、そして記憶消去をシンクロさせるため、それはつまり、キースには他人の夢を見る能力があり、精神汚染を受けない理由がある、という説明のためだと思いました。
別冊でキースがカウンセリングを受けた後に「コールを受けた記憶を消去された」場面に改訂されているのも、シロエの記憶消去とシンクロさせるためではないかと。
アニテラ同様シロエはスウェナちゃんを好きだったという前提で、成人検査の場面に見せかけて実はイライザがシロエにもカウンセリング=記憶消去を施した、というフェイクだと解釈しました。 シロエが夢から覚めた後にわざわざイライザの端末に靴ぶん投げるという行動は、テラズとイライザは同じ、という意味ですが、それはつまり、
テラズとイライザが同じシステムだという意味と、夢の中でテラズがした事は、実はイライザがしたことだというダブルミーニングであると思います。
そのままイライザを夢に出して描いたらもろばれすぎて隠した意味がないですからね。 「青き光芒」でモリスの事でショックを受けたスウェナに記憶操作したのと同じ理由ですね。 イライザはキースとシロエがスウェナちゃんのことで悩んでいるのを解決させてあげただけなのです。
アニテラでの根元マジックは、この竹宮マジックを巧く踏襲していると感動しております。 ジョミー以外の人に成人検査時やテラズの記憶があるなんておかしいとずっと思ってましたが、これなら納得いきます。
イライザがキースに対しては今のままでいい、と保留したのに対してシロエには彼女の記憶を消去した、という違う方法をとったことがシロエにとっては最大の悲劇であり屈辱なのでしょう。
イライザに甘やかされているキースを憎むには十分すぎる理由です。
時はすぎ、原作にしかない新年パーティです。 ここで何故ステーションと一般コースのコロニーを合体させて合同パーティをするという展開にしたのでしょう? ジョミーの精神汚染の被害者を増やすためだとしたら、時間が速すぎるしなー。 後でシロエに誘惑される技術者たちを迎えるためと、ケティたちエリートから一般コースへ鞍替えする人のためでしょうか。
おっと、重要な意味があったじゃないか。 新入生ガイダンス同様、新年パーティにてテラの映像をドアップに見せ、エリート、コモンの区別なく卒業を間近に控えたものたちやステーションに立ち寄った大人たちの夢を洗脳するそそるためだったのだ! いやー、GJですねぇ。
それにしても、シロエの作ったロボットはあまりにもでかすぎます。 どこで作ったのか、どこに保管してあるのか、何で廃棄処分されないのか、突っ込みたい部分が山積です。 アニテラのバイクも保管場所に十分困る代物ですが。
そして、エリート候補生となったシロエはウェイターのアルバイトをしており、客として先ほど名前を挙げたケティとその彼氏がやってきます。
この髪型にバンダナ、KYな態度、結婚を理由にエリートコースから一般コースへ鞍替えするということは…。
そうか、彼女がアニテラズウェナ様のモデルなんですね? そうですよね、頼むからそう言ってくれー
そしてその後にかわいそうなコンピュータ技師さんがやってきます。 この時代に方言なんて存在するのかはともかく、懐かしい方言を使い、しおらしいふりをして技師を誘惑し口説き始めるシロエでした。
この部分は改訂なしと思われるのですが、可愛らしい態度で技師を誘惑するなんてそれって…
改訂版スウェナちゃんと同じじゃないですか?
連載版でのスウェナちゃんの扱いがどのくらいなのかは把握できませんが、別冊にて彼女の扱いが改訂されてるのは確実なので、別冊で彼女の相手が技師なのも彼女が儚げな女の子になっているのも、このシロエの誘惑部分に合わせてあるのかもしれません。
そして、薄れ行く記憶にしがみついている事に疲れたシロエが落ち込む場面は改訂されたものです。 ここで「挫折」を味わい模索しているシロエに道を開いたのがキースの噂でした。
付け加えれば、この時点でシロエとスウェナちゃんがシンクロしているとマダムやん♪には推測できるので、彼女の場合はアニテラ同様色々模索して挫折した時に現れたのがあの彼氏だったという事でしょう。 たとえ結婚が逃げだったとしても、それでも自分で決めた進路だし、彼氏と「相互理解」できたのは原作テラの流れとして十分反逆行為だし、改訂版でキースとシロエを動かしたのは実質的には彼女だし、最終的には地球と心中しなくてすんだのだから、やはりマダムやん♪は彼女は強かで立派だと思いますよ。
次回にも書きますが、これは無自覚で世界を変革する事のできたいわば「白痴の知」という事だと思います。 え? 意味不明ですか? ははは、キ・ニ・ス・ル・ナ♪
この先は、男と女の違いです。 新たな野心へ向けて突き進んでいくか、銃後の守りに入るか。 当時の竹宮先生インタビューで、少女を描けない理由として、「女は守りに入るものだから」と仰っておられました。
30年前ならともかく、今は男性でも銃後の守りに入る人が多くなりましたのでね、この法則は既に崩壊しているのですけど。
だからといって、アニテラで復活したズウェナ様がKYシャネルストーカーになっていいというものではありませんです。
こうして改めて比較すると、本来なら改訂なしの場面でも、改訂した部分と合わせると、台詞の意味合いが全く違ってみえるものですね。
キースの台詞「無性に腹が立つ! あのあきらめの入り混じった 優しい感情−あれにふれると」や、
シロエの「結婚は挫折」発言や技師さんへの誘惑振りの意図とか。
マダムやん♪には全て、スウェナちゃんとの関係の変化による解釈の変化=どれも彼女を意識している、と思えてなりません。
メンバーズの飛行訓練中にジョミーのテレパシー通信を受信するキースたち。
キースがジョミーとシロエが似ている、と思ったとき、当時のマダムやん♪はジョミーとシロエって何か関係があるのかな、と普通に思ったものでした。 歳月が経つにつれ、そんなありがちな設定やだー、と考えが変わってしまったのですが、考察を始めるようになってからは、やはりジョミーとシロエは「アレ」ではないかと思うようになりました。
ESPチェックを受けたシロエ。 この後に本人が言ったように、キースのいるロビーまで歩くのが限界なほどにぼろぼろです。
それなのに、ジョミーの2度目のテレパシー通信の騒ぎに乗じて脱走なんてできるのでしょうか?
その考察は次回にて。
改訂に際して先生、必死に考慮されたでしょう。 読み解く方も必死です。 妄想も混ぜないとどうにもなりません。 それだけ深い世界観と張り巡らされた伏線で満ちております。
こんな複雑な展開を、声や映像などの情報がどんどん流れていくアニメーションという手法ででやれというのが無理です(劇場版はよくがんばりました)。 二次アニメを展開するのが精一杯です。 小説だと絵がないのでわかりにくく、やはり漫画でないとできない内容であり表現であり展開です。
解釈を誤解したままで一生を終えるのがもったいないので、どこかで正式な解釈を展開しているサイトか書籍があればいいのですが。 解釈は人それぞれ〜、もいいのですけど、一つくらいはテンプレがないと、他のファンの皆さんも困るし…。
ではまたー。
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>恋愛について
マダムやん♪自身が恋愛をする気はありませんが、記事にあったような素敵な恋愛をしている人たちは尊敬に値すると思います。 あたりまえのことを無自覚にできる人が、強いのです。 人はそれを、「天然」という。
>母が優位
女性が子供を産める時代でしかなしえない価値観なので、この時代を有意義に過ごしましょう。
>恋愛以上の相互理解
最終回レビューまで詳細は内緒です。 「原作でところどころ理解しようとしてる」のは、ほんの一部の行動にしか過ぎないようです。
>キースの一番好きな人はジョミー
「人間として」ならそうでしょうね。 時を越えて、輪廻の輪を超えてまで理解したいと思っている対象だから。 おおっと、この話はここまでだ。
>ジョミーとシロエが似ているのは
「キースの好みだから」という理由は、原作者の趣味としては多少はあるのでしょうけど、それが全ての理由だったら笑いますよ。
「遺伝子学上の(ピーーー)」は、ジョミーの台詞「ぼくが殺した人間の中にも(略)」もあるので強ち間違いじゃないと思いますし、一般論で考えても「遺伝子学上の(ピーーー)」は存在するはずなので。 それに、その仮説が成立すればトォニィの発言の謎も解けるんですけど。
>原作スウェナちゃん
竹宮先生が手を抜かずに描かれていました。 なので、マダムやん♪は改訂版テラの真のヒロインは彼女だと思ってます。 その理由は最終回にて。
ではまたー。